さまざまな聴覚障害学生
聴覚障害は、失聴の時期や聴力の程度、受けた教育等によって、その状況が一人一人異なります。それゆえ、コミュニケーション手段も必要な支援の種類も多岐にわたります。
また、同じ一人の聴覚障害者でも、聴力の変動や意識の変化にともなって、求める支援の手段が大きく変わることもあります。
とりわけ、手話を習得したり、同じ聴覚障害のある仲間と出会ったりする機会の多い大学時代は、「入学時は無口だったのに今は楽しそう」「サークルのリーダーになった」といった学生相応の成長が著しい時期とも言えます。
同時に、「いくらすすめても通訳を依頼しない」「話し合いの席にすら来ない」と、拒絶的な態度が続く場合も少なくなく、聴覚障害学生特有の成長過程や心理状態を念頭においた丁寧な支援が欠かせません。
支援がもたらす心理的葛藤
実際の支援、すなわち「合理的配慮」に至るには聴覚障害学生からの「意思表明」が前提とされます。ですが、現時点では大学に入ってはじめて支援を受ける学生が大半ですので、未知の経験に対する戸惑いが大きく、最初から積極的に支援を求める学生はまれでしょう。
また、支援を受けて授業を理解できるようになる半面で、支援によって自分の障害とも向き合わざるを得ませんので、心理的葛藤を避けられません。
一年生の時から「自分は聴覚障害があるので通訳をお願いします」と意思表明する学生は少数ですし、ましてや「読みにくいからもっと大きな文字にして」「この授業には手話通訳を、あの授業にはパソコンノートテイクを」と注文できる学生は珍しいでしょう。時には勉学が手につかず、それまでの生き方を疑うほどの心理的負担を感じることさえあります。
その背景として、学生にもよりますが、大半の聴覚障害学生は高校まで授業の中で発言したり発表したりする経験が乏しい上に、まわりに合わせて過ごせるように自分の意思を意識的あるいは無意識的に抑圧する傾向が見られます。つまり、「意思表明」にあたっては受け身的な生き方から積極的な生き方への転換が求められ、「意思表明」の前に自らの意思や行動が抑圧されてきたことに気づき、さらに抑圧された意思や行動を言語化する作業を根気よく繰り返してようやく「意思表明」に至るのです。
結局、授業がわからなくとも嬉々と支援を受ける学生ばかりではありませんし、当初は喜ばれた支援も時間とともに要求がレベルアップしがちです。
必要と思って行った支援が必ずしも歓迎されないところに、支援の難しさがあります。
それゆえ、大学と聴覚障害学生が対等に関わるには「『意思表明』支援」が求められ、「『意思表明』支援」なくして合理的配慮にはたどり着けないのです。
言い換えると、この時期に良質な支援を受けることが、聴覚障害学生の主体的成長においてきわめて大切になってきます。支援利用上のルールを守らない、手話以外のコミュニケーション手段を拒むなど、反発的な態度に出会う例も少なからずありますが、そこでの見守りや働きかけが、聴覚障害学生のまわりへの信頼感をかろうじてつなぎ、抑圧からの回復をもたらしていくとも言えます。
心理的葛藤から主体性形成・共生変革へのステップと必要な支援
支援を受ける中では、具体的にどのような心理的葛藤が生じるのでしょうか。
すべての学生が同じように感じ、受けとめると限りませんが、大きく以下の4段階に分けられ、ステップを追う点で共通していると考えられます。それぞれの段階でどのような支援が必要かも一緒に考えてみましょう。
(1)消極的反応段階
①無支援:支援があることすら知らない状態です。
②支援認知:「手話通訳」「パソコンノートテイク」等の手段があることを知ります。
しかし、高校まで一人で頑張ってきた聴覚障害学生は「自分は人に助けてもらうほど困っていない」「支援がなくてもやっていける」と思いがちです。
→この段階での支援
ある大学では、聴覚障害の新入生に「どのような支援が必要ですか」と聞くと、「口話でわかるので大丈夫」と返ってきました。
先生から「入学前に一度授業を見に行こう」と提案し見学したところ、「やはり口話ではわかりません」と、実際にどうするか話し合いが進みました。
また、別のある大学では、「本人は支援を断っているが、一度、授業に通訳をつけてみたい」と動いたところ、本人も一年が終わる頃には積極的になった例もあります。
本人の拒否する気持ちを受けとめつつ「いりません」という言葉をうのみにせずに、潜在的ニーズを引き出す丁寧な対応が意思表明をもたらした好例でしょう。
(2)受動的依頼段階
③支援依頼:ようやく通訳依頼にふみきりますが、ここでも「まわりに聴覚障害を知られたくない」「隅っこの方で目立たないように」等の葛藤を抱える傾向があります。
④支援体験:はじめて通訳をつけてみると、多くが「授業ってこんなに面白かったのか!」と感激します。経験を重ねるにつれ次第に「もっとたくさん情報を流してほしい」と要求が高まりますが、実際にそれを口に出すまでには時間を要することが多いでしょう。
→この段階での支援
本人から「○○してほしい」と声があがっていないから大丈夫と安心しがちな時期です。「通訳はどう?」と聞いてもなかなか反応を得るのが難しいのもこの頃です。
たとえば、養成講座で実際に通訳する傍ら、「この通訳の〇〇はどう?」と具体的に聞くと意外な答えが返る場合もあります。このとき、「でも…」と反論しがちですが、本人にとってはやっと出た一言ですので、敏感に受け止めることが主体的活動段階へ進む下地につながります。
また、聴覚障害学生同士で「通訳についてどう感じるか」議論する場があると、なおよいでしょう。自分の思いが個人的な好みなのか、ほかの聴覚障害学生にも共通する普遍的意向なのか、見極められるようになります。
(3)主体的活用段階
⑤要望提起:これまで受け身だった通訳に対して、自ら要望を出します。情報保障の「依頼者」から「利用者」に転換していくときです。我慢を重ねた反動から、強い言い方で要望を突きつける学生も少なくありません。
⑥支援活用:通訳者や支援者との距離のとり方を身につけていきます。「この授業にはこの手段を」と判断する、先生や友達に希望する配慮を適切に伝える、通訳者にタイミングよく声掛けをする等の行動が可能になります。
→この段階での支援
ここにきて、一方的に支援を受ける段階を脱して主体的に動き始めます。不満が噴出しやすいときですが、自分の要求を言語化し始めた証と受けとめたいところです。ときには無理難題を突きつけられることもあるかもしれませんが、「無理」と却下するのではなく、「それは○○という理由で厳しいけれど、こういう方法はどうか」と、大学として代替案を示すことが大切になるでしょう。
お互いの要望や事情をすり合わせて、建設的に話し合い、調整を重ねながら関係を紡ぐ過程が、聴覚障害学生にとっても学びであり自信につながります。
(4)共生的変革段階
よりよい支援のために、通訳者や支援者に働きかけるばかりでなく、調和を保ちながら関係調整をはかります。
学生のうちは、主体的活用段階に進むものの、共生的変革段階に至る例は少なく、卒業後さらに社会経験を積んでの関係調整であり変革となるでしょう。
→この段階での支援
概して、既存の支援にはない新しい要望を出す学生や、一つの支援に多くを望む学生は、後々、支援を受ける立場から自らも後輩を支援する立場へと回る、積極的に支援者の養成に関わる例が多くみられます。
合理的配慮は、大学側のみならず、本人に対しても積極的関与を求めます。一見突飛な要求も、いずれは共生へ向かう成長の一過程と捉え、長い目で見守りたいところです。
全段階を通じての支援
日ごろからの関わりとともに、全段階を通じて大学と聴覚障害学生が定期的に(年数回)話し合う時間を持つと、互いへの安心感や信頼感がより深まることでしょう。
大学にとっては、聴覚障害学生の本音を引き出すのは一仕事かもしれません。大学の事情が許せば、数々の聴覚障害者と接してきた通訳者なり聴覚障害者なりを支援スタッフに迎えるのが望ましいでしょうが、それが難しい場合は、こちらのPEPNet-Japanなどのネットワーク等を活用して他大学と情報交換したり、聴覚障害のあるサポーターを紹介してもらうことも可能です。
強調しておきたいのは、同じ聴覚障害の仲間(ピア)を持つ大切さです。大学生ならば、「全日本ろう学生懇談会」等で討論会、講演会、キャンプ、スキーなどの企画が随時ありますので、折をみて「こういう企画があるよ」と繰り返し勧めたいところです。卒業後、職場や家庭で何らかの問題が生じたときも、学生時代に培った同じ聴覚障害者のネットワークが大きな救いになってきます。
ケースによっては、まれに、聴覚障害の教育や心理に造詣の深い専門家の支援が必要な場合もあります。現時点ではこうした専門家は限られていますので、都道府県の聴覚障害者情報提供施設(※)に問い合わせるのも一つの方法です。
聴覚障害学生にとって、さまざまなコミュニケーション手段を身につけることが人間関係の幅を広げるように、さまざまな手段の支援を活用する経験が、社会的活動の場を広げていくことになります。
職場や社会で対人関係調整や環境変革を図れる共生的関わりをめざしつつ、日々の生活や活動をより充実させていくためにも、「きめ細かに意思表明を引き出す」「支援によって生じる心理的葛藤を軽減する」「質の高い通訳を提供する」「多様な支援を体験させる」等、一連の支援を、長期的展望をもってコーディネートすることが非常に大切になってきます。
※聴覚障害者情報提供施設とは?
「身体障害者福祉法」第34条(視聴覚障害者情報提供施設)で定められた施設で、主に聴覚障害者用字幕ビデオライブラリーの貸出や聴覚障害に関する相談、手話通訳者や要約筆記者の養成・派遣を行っています。
社会福祉法人聴力障害者情報文化センターのホームページには、「聴覚障害者向け情報提供施設リンク一覧」が充実しています。「関連団体リンク集」からご覧ください。
トピック別聴覚障害学生支援ガイド PEPNet-Japan TipSheet集(改訂版)
⑩ 聴覚障害学生の意思表明とその支援 吉川あゆみ氏より