主体性とエンパワメント

エンパワメントの概念について、手話で説明します(話し手:筑波技術大学 大杉豊)。日本語での解説はページ下をご覧下さい。

※映像の中で紹介される図及び表は、下記日本語解説の中のものをご参照ください。

【補足説明】

主体性の側面のエンパワメント指導についてお話します。

大学入学以前のろう・難聴学生には、ろう学校で教育を受け育った人と、通常学級でインテグレーションしていた人の2つのパターンがあります。

後者の学生の中には、最近は技術の進歩により補聴器の質もよくなり、音声で聞き取れるろう・難聴学生も増えてきています。しかし、1対1での会話は問題ないものの、グループでの会話や、大教室での会話が全て聞き取れるという人は少ないのが事実です。聴覚情報の制限の度合いはろう・難聴学生によって様々ですが、例えば教室のすみで突然仲の良い学生同士の口論が始まったとき、口論の始まったきっかけ、口論の内容、口論がどのように落ち着いたのかといったことが、口論を目の当たりにしながらも、聴覚情報が少ないためにわからないことがあります。また、1対1でのコミュニケーションはできたとしても、グループでの会話、または廊下での立ち話など、意外にもこれらのコミュニケーションに重要な情報が多く含まれていることがあります。立ち話で重要なことを話すのは聴こえる人にとっては当たり前のことですが、ろう・難聴者はその当たり前の状況を経験することはほとんどありません。このようなことから、通常学級にインテグレーションした聴覚障害学生は、リーダーシップを取り、主体性を持って自分が持つ力を発揮し、他者やグループを引っ張る力を養う機会が少なく、自分ではどうしたらいいかわからないまま、大学に入学する例が多くあります。

一方、ろう学校育ちの場合、ろう者は聴覚よりも視覚からより多くの情報を得るため、コミュニケーション手段も、目で見てわかるコミュニケーションが多くなります。人間関係も含めて、良いことも悪いことも常に視覚から情報を得て生活し、また学校での生活を送ることで、自分の中で物事を消化し、自然と主体性の側面をエンパワメントすることができます。自分が持っている力は何か、自分にできることとできないことは何かの見極めが可能になり、その上でグループを引っ張ることができ、また必要に応じて自分を表現することができるようになります。しかし、主体性を身につけてろう学校を卒業したものの、大学に入学したとたん、聴こえる学生が圧倒的に多く聴覚障害学生は自分ひとりだけという環境に直面し、ろう学校で身につけた主体性がしぼんでしまい、どうしたらいいかわからなくなり壁にぶつかるということがあります。

高校までが普通校でもろう学校でも、いずれの場合も、聴覚障害学生が大学に入学することで、心理的葛藤を抱え壁にぶつかることがあるというのは吉川氏(2009)が報告していますが、吉川氏によれば三段階のステップがあるとのことです。まず、消極的反応段階、次に受動的利用段階、そして主体的な活用段階の三段階です。図に示すとこのようになります(図1)。

聴覚障害学生の支援に対する受けとめ方の変化

図1 聴覚障害学生の支援に対する受けとめ方の変化
吉川(2009)より転載、タイトルのみ著者が加筆

次に、こちらの表をご覧ください(表1)。

表1 主体性の形成に至る各段階の詳細と支援のあり方

段階 状況 支援
消極的反応段階 無支援 支援があることすら知らない。 本人の拒否する気持ちを受け止めつつも、潜在的ニーズを引き出すよう丁寧に対応する。
支援認知 支援があることを知るが、自分には無用と思う。
受動的利用段階 支援依頼 必要性を感じるが、自分の障害を知られたくないので、目立たないように支援を受けたいと思う。 支援に対する感想や意見を尋ねて、本人の話を少しでも聞く姿勢を明確にする。
支援体験 体験して、受け入れ、回数を重ねるが、受け身の姿勢で、要望までは勇気が出ない。
主体的活用段階 要望提起 支援のあり方について自ら要望を出す。 対応が難しい要望についてはその理由と代替案を示して、お互いの要望や事情をすり合わせる。
支援活用 支援者との距離のとり方を身につける。

吉川(2009)を元に作成

表1に示したように、三段階の心理的な変化が詳細に書かれています。そして、大学において障害学生支援室の職員または教員が、それぞれの学生の状況に合わせてどのようにエンパワメントすればよいのか、どのような指導の方法があるのか、細かく記載されています。ここでの重要なポイントは何でしょうか。大学に入学してきたろう・難聴学生に初めて情報保障の説明をし、つけてはどうかと尋ねると、学生は「必要ない、大丈夫」と言ったり、遠慮したりすることがしばしばあります。それでも提案し続け、また聴覚障害学生を持つ先輩が情報保障を受けている様子を見学させることで、当初は否定していた聴覚障害学生も受けてみようという気持ちになることもあり、その時にコミュニケーションが生まれるわけです。

支援担当者と当事者の間のコミュニケーションは非常に大切です。そのときは、支援担当者は情報保障がこうあるべきだというように決まったことがらを押し付けるのではなく、このような方法もあると選択肢を提案する、または、支援を受けた感想を聞いたり他によい方法があるか聞いたりします。ただし、コミュニケーションを取り始めたばかりの聴覚障害学生は、これらの問いにすぐに答えることはできません。情報保障を試してみて、ないよりはあった方がましだと気付くのが普通です。そこから徐々に「なるほど、情報保障があると助かる」と自覚していき、先ほどの三段階のステップを踏みながら、支援者に対してもコミュニケーションの幅を広げ、例えばこういう方法があるなと自分の思い・感想を表現し始めるでしょう。支援担当者も少しずつ聴覚障害学生のニーズを把握していき、対話を重ねながらお互いに高め合っていく、これは「ソーシャルワーク」の考え方と似ています。

最後に。ろう・難聴学生が自分から、自分の障害について「私はろう者/難聴者である」「補聴器で1対1であれば聞き取れるが、対大人数は難しい」といった聞こえの範囲や障害の状況を周囲に伝える、また講義において情報保障者を連れてきた際に、教員に対して主体的に情報保障者を紹介し、座席位置の確認をするなど、支援者ではなく聴覚障害学生が主体となって先生と交渉する、また周りの学生への理解を広める・・・。このように、大学の支援を受けながら、自分が主体となって情報保障の環境を一緒に作り上げていく、この過程がエンパワメント、特に主体性の側面のエンパワメント指導によいモデルになるのではないでしょうか。
 本映像では、吉川(2009)の紹介も合わせて、主体性に重きを置いたエンパワメントの指導方法についてまとめて紹介をさせていただきました。

【補足説明】

補足して説明します。

ろう・難聴学生が支援の相談をする時は、学内の障害学生支援室、もしなければ学生係などに行って相談することになります。そこで、支援担当の職員からいろいろと説明を聞き、講義の時間、必要な支援の内容などを記入した書類を提出した後は、講義の時に支援者が来るのを確認するだけになります。そこで問題は何かと言いますと、ろう・難聴の学生は支援室の受付で申し込めばすむことなのですが、大学の立場からしますと、支援依頼を受けた直後から担当者があちこち走り回り、「支援できるのか?」「お金が足りない!どうしよう?」「支援者が足りない!」「誰の承諾を得る必要があるのか?どうやって?」と大騒ぎになり、数多くの会議を重ね、非常にめまぐるしく動くことになります。また、混乱なく順調に各部署の承諾が取れ、淡々と手続きが進み、当日支援者がついたとしても、学生はただ窓口に行って手続きをするだけで済んでいるのに比較して、学内では多くの過程を経ています。ろう・難聴学生には、窓口の向こうでの大学の動きは見えません。特にろう者は情報がなかなか得られないので、手続きをすれば情報保障を受けられることが当たり前だと思ってしまうことがあります。しかし、それは違います。情報保障が当たり前のようになされるその裏では、様々な過程を経ている組織があること。これが学生からは見えないから、自分にどのように情報保障が提供されているのかわからないのです。では、どうするか。聴覚障害学生が窓口に相談に来たときにこのような過程を説明することに加えて、支援の流れを明確にしたフローチャートを見せながら「今は窓口で相談していますね。次はあそこの部署で何をして、その次はこの部署で、さらにあの部署にいって・・・最終的にあなたに支援がつく」と説明して、学生に全体を把握してもらうこと。そうすることで、学生は自分に情報保障がつくまでの過程を知り、感謝の気持ちが起こるわけです。多くの過程があることを聴覚障害学生自身が知っている。この知識が重要です。つまりこういうような知識を持つことが、主体性の側面をエンパワメントする指導のために重要です。このような知識をきちんと丁寧にろう・難聴学生に教えることが大切だと考えています。

※ 参考文献:
日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワーク聴覚障害学生支援システム構築運営マニュアル作成事業グループ(2010) 一歩進んだ聴覚障害学生支援 ― 組織で支える ―. 生活書院

吉川あゆみ(2009)聴覚障害学生の心理的支援、日本聴覚障害学生高等教育支援ネットワークトピック別聴覚障害学生支援ガイド – PEPNet –Japan TipSheet集第3版. 日本聴覚障害学生支援ネットワーク

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