本サイトで紹介した実践例のうち『体験しよう!「職場での困難」』では、電話でのコミュニケーションを取り上げました。しかし、聴覚障害者にとって「電話」というのは、単に「聞こえないからかけられない」という以上に難しい存在のようです。
この難しさについて、ご自身も聴覚障害があり、一般企業での就労を経験された長野留美子氏にお話をお聞きしました。

長野留美子氏:関東聴覚障害学生サポートセンター

ろう学校幼稚部修了後、地域の学校にインテグレーション。長年のインテグレーションにおける情報保障のない学習環境に疑問を呈し、大学入学後、「聴覚障害学生サポートセンター構想」の実現に向けて、全国聴覚障害学生の集い(1995年)・特殊教育学会(1996年)等で発表するなど奔走。学生団体での活動に限界を感じ、大学卒業後、米国ギャローデット大学へ留学。帰国後、福祉施設や会社勤務を経て、2006年、ろう・難聴女性グループ「Lifestyles of Deaf Women」を立上げ、現在、子育ての傍ら、「ろう・難聴女性のキャリアと子育て」における課題解決に向けて女性のエンパワメント啓発に取り組む。地域では、聴者の母親たちと共に立ち上げた子育てグループを通して地元自治体の福祉のまちづくりに関わり始めたことを機に、ろう・難聴女性の社会参加の方法にも関心を持っている。

長野留美子氏

― ろう者、聴覚障害者にとっての電話とは、どんな存在なのでしょうか?

長野氏/ろう者にとって、電話はどこの誰とどのようなやりとりをしているかが目に見えないため、実体が掴めないものである反面、「ダイヤルを押せばどこにでも自由につながれる便利な機器」、いわばドラえもんの「どこでもドア」のようなイメージを抱き、それを駆使できない自分には仕事上の決定的なハンディとなると捉えがちです。

実際、仕事においては、社内でのやりとりをはじめ、取引先や顧客とのやりとりなど様々な場面で電話を介したコミュニケーションが頻繁に行われます。もちろん、電話を使用できない場合、代替手段として、EメールやFAXを駆使するという方法はありますが、やはり仕事上においてはケースバイケースではあるものの、直接相手と顔を合わせて話をしたり、電話でタイムリーにやりとりする方がスムーズに話が進むということが往々にしてあります。

しかしながら、場合によっては、電話だと相手の顔が見えない分、言い方がきつくなってしまったり、相手のペースを乱してしまったりすることもあると聞きます。 聴者は、日頃、そうした経験を積み重ねていくうちに、必然的に電話の勘どころを掴んでいくものと思われます。しかし、ろう者にとっては、そうではありません。当事者として応対したことがないので、その勘どころが掴めないのです。

― なるほど、単に「聞こえないからかけられない」以上に、電話で用いられる「お作法」がわからないなどの難しさがあると言うことですね。

長野/そうです。「門前の小僧 習わぬ経を読む」ということわざがあります。お寺に弟子入りした小僧が、門前の掃き掃除などをしながら、毎日お坊さんの唱える経を聞いているうちに、いつのまにか習わなくても経を読めるようになるということから、普段見聞きしていると知らず知らずのうちにその環境のことを身につけてしまうことのたとえです。

つまり聴者の場合、入社後、上司や先輩による電話口での応対を聞いていることで、電話の相手方に関する情報を知らず知らずのうちに学んでいる面があると思います。こうした情報は、業務を遂行する上で大切ではないでしょうか?

また、上司や先輩による電話での営業やクレーム対応を見聞きすることは、格好のOJTとなっている面もあります。これは、まさに「門前の小僧」の状態ですね。聴者は、こうした周囲の仕事上のインフォーマルな会話を耳にしていくうちに、自然と言葉遣いから電話の勘どころ、社内のルールや顧客との接し方などを身につけてゆくものと思われます。

― こういう情報が入らないと、仕事にも支障が出てきそうですね。

長野/その通りです。ろう者の場合、こうした目に見えない聴覚情報は獲得できませんので、いわゆる「門前の小僧 見えぬ経は読めぬ」状況に置かれがちです。そのことに本人も周囲も気づいていないため、小さな行き違いや誤解が積み重なり、様々なトラブルに発展してしまうということが残念ながらあります。私自身もそうした失敗の経験が何度かありますし、そのたびに同僚や上司とのやりとりを通して、仕事上のコミュニケーションにおいては、電話は便利な機器というだけでなく、意思疎通が湾曲して伝わってしまう難しい面もあることを知ったという経験があります。

― では、これから職場に入るろう者、聴覚障害者にとっては、どんなことに気をつければ良いのでしょうか?

長野/そうですね。なによりもまず、自分がそうした状況に置かれているということを自覚し、ランチタイムなどを使って、同僚や上司に自分の状況を説明して、周囲でどのようなやりとりが行われているかを教えてもらえるようにすることが大切でしょう。そのためにも、自分から筆談なりメールなり様々な手段を使って、周囲とのコミュ二ケーションを積極的にとっていく姿勢が何よりも大切になってくると思います。

― やはり、なにごとにも積極的に!というのがポイントになるのですね。どうもありがとうございました!

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