「一歩進んだ聴覚障害学生支援」完成記念座談会 -著者が語る「組織化」-
掲載日 2010年9月22日
2010年6月、「大学は聴覚障害学生への支援体制をどう構築すればよいか?!」というテーマに初めて深く具体的に切り込んだ一冊の本が刊行されました。
「受験相談や入学試験ではどう対応したらよいか?」「予算はどうやっていくら確保すればいいのか」「支援者はどうやって集めるのか」といった具体的なノウハウから、「組織化とは何か」「一歩進んだ支援とは?」「今後の課題は?」といったこの先のビジョンまで、執筆を終えた著者陣が改めて語り合いました。この本の読み方、読者へのメッセージも満載です。
【座談会出席者】(写真左から)
- 岩田吉生氏(愛知教育大学)
- 平尾智隆氏 (愛媛大学 教育・学生支援機構)
- 金澤貴之氏(群馬大学)
- 大杉豊氏(筑波技術大学)
- 青野透氏 (金沢大学 大学教育開発・支援センター)
- 倉谷慶子氏(関東聴覚障害学生サポートセンター)
- 松崎丈氏 (宮城教育大学)*
- 司会:河野純大(筑波技術大学 PEPNet-Japan事務局員)
- 白澤麻弓(筑波技術大学 PEPNet-Japan事務局長)
- 中島亜紀子(筑波技術大学 PEPNet-Japan事務補佐員)
- 萩原彩子(筑波技術大学 PEPNet-Japan事務補佐員)
*松崎丈氏(宮城教育大学)は、都合により座談会当日は欠席でした。発言は、座談会の内容に合わせて後日個別に行ったインタビューを行って、いただいたコメントを挿入しています。
「一歩進んだ聴覚障害学生支援」完成記念座談会 -著者が語る「組織化」-
河野 今日はお忙しいところ、「一歩進んだ聴覚障害学生支援」完成記念座談会へお集まりいただきありがとうございます。2時間ほど、この本を通して伝えたいことを、余すところなく語ってもらえたらと思います。 まず、この本を作るまでの流れについて、編者の金澤先生、大杉先生からお願いします。
■ 「マニュアル」作りのきっかけは
金澤 この本のテーマは「組織化」です。学生同士で頑張って支援をしていた時代から、次のステージに移していくというのがPEPNet-Japanの仕事なんだろうと思っていました。そのためには、大学の中に組織として位置づけさせる方法を提示することが特に重要だ、そんなマニュアルを作れないかと思い、事業を立ち上げようという話になったわけです。ただ、そうは言っても、実際データを集めてみないと始まらないですから、いろんな大学の取り組みを一つ一つ丁寧に押えていくことを始めました。
大学へインタビューに出かけていくときに私自身が注意したこと。それは、単に「何年に委員会ができました」でなく、「どうしてそのときにその委員会ができたのか」を細かく聞くこと。あるいは経緯だけではなくて、だれがどう発案し、それがどういう会議にかかったのか、ということを細かく伺ってきました。
その結果、資料集「聴覚障害学生支援システムができるまで1・2」ができました。資料集にまとめた大学は、国立、私立、大きな総合大学から小さな単科大学まで本当にそれぞれです。
支援体制ができない大学は、「うちは小さい大学だから予算もなくてできない」という言い方をします。でも、資料集に掲載した大学の方に成功要因を聞くと、「うちは小さい大学だから小回りが効いた」とさらっと言ったりする。つまりは、できない大学もできた大学も、理由として自分の大学の形のことを言う。だとすると、大学の形ではない何か別のところに、攻略法があるんじゃないか?と気になってきたのです。
そして、事業会議などでメンバーの皆さんと共通理解を図りながら、本の章立てをしていきました。そこから先のとりまとめは大杉先生にお願いしました。
大杉 野球に例えますと、マニュアルの編集という仕事については、マスクをかぶってないまま、金澤先生の直球を受けてしまいました。もちろんしっかり受け止めてここまでやってきましたが、いい経験になったと思います。
マニュアルの章立て、つまり目次は、荒れ球で的を絞り切れていなかったと思うんですね。それで、わかりやすい目次に整理し直しました。そこは非常に苦労しましたが、その分、目次から自分が読みたいところをすぐ発見できるようなものになったと思います。
ところで、この本を購入した私の友人の感想は、金澤先生が先ほどおっしゃったこととほとんど同じでした。大きい大学小さい大学いろいろあるが、「それぞれのやり方がある」ということが非常によくわかったと。
また、書店では吉田仁美さんが書かれた「高等教育における聴覚障害者の自立支援」(2010、ミネルヴァ書房)がこの本の隣に並んでいたそうです。吉田さんが、難聴という立場で聴覚障害者の仲間をつくって、研究を重ねてきたその研究書。こちらは大学の組織について述べたマニュアル書。同じ時期に書店に一緒に並ぶこととなり、すごくいいタイミングでしたね。
■ 各章のポイント
第1章は“包丁の使い方”
河野 では第1章から順番に、もう少し深いポイントをお話しいただけますか。
金澤 第1章は、料理をするための包丁の扱い方について解説しました。つまりは、人を雇うにしても何にしても、その都度組織を動かす必要があるわけですよね。その時のツボというかコツというか、共通するルール。いわば黄金律みたいなものがあるのではないか。それを解きほぐしたのが第1章です。
河野 ほかの先生方で、第1章について何か感想はありますか。
倉谷 正面切った本の中に、裏話とも言える「根回し」という言葉が結構出てきていますよね。日本の社会には必然としてあるけれども、このようにはっきり打ち出してしまって、この先根回しの効果がなくならないかちょっと心配ですが…(笑)
金澤 「根回し」は、何かいけないことをしているようなニュアンスがつきまとっていますが、私の考えとしては、根回しはそもそもするべきことなんです。根回しを前提に組織の意思決定は成り立っている。だから今後もたぶん、必要な手続きの一つであり続けるでしょう。
青野 第1章の内容は、まさに大学内の会議の実況中継として見ていただきたいと思っています。私はこの2年間、学内の評議会や経営協議会に出席してきましたが、そこで行われていることは、第1章に書かれているとおりです。大学の場合、何か物事が決まるというときに一番力が必要なのは、それを実行しようという人、多くの場合は教員でしょう、それと資料作成など必要な部分を補う職員さん。両者のチームワークです。これが整わなかったら何一つできないのが大学というところ。ただ残念なことに、私が見る限り、どうもその力がだんだん弱くなっている。だから、そういうチームワークの大事さを踏まえた上で、これから大学の中核を担う方々がやっていくべきです。その点、第1章という前置きにはふさわしい内容だったと思うんですよ。
必要なのは「3人の人材」
金澤 今のお話を聞いて、この事業を提案した自分の原点を思い出しました。群馬大学に初めて聴覚障害学生が合格したとき、白澤先生に電話をして、とりあえず何が必要かと聞きました。その答えはとてもシンプルなことで、「3人の人材が必要だと言われています。1人はこまめに動く教員。次に、いろいろ世話してくれる事務の人。そしてもう1人は『偉い』人。」と。偉い人というのは、自分の手を離れて意思決定が必要なときに、大事な場できちんと提案してくれる人ということです。この3人がいれば組織はできますと言われました。これを忠実に守って、私は実践を進めていったというところがあります。
青野 「3人の人材」の話が、本の中にあれば良かったですね。それに従って誰かをプッシュすればよいというふうに、学生さんや親御さんにサジェスチョンをしてあげたいですよね。
岩田 倉谷さんなど学外の方は、どう感じられたのでしょうか。
倉谷 マニュアル作成の過程で私自身が大学の中に入ることがありましたので、状況が分かるようになりましたが、サポートセンターのように学外にいるだけでは、大学の中は分かりにくいところでした。大学の中を知らない人はおそらく、教授会というのは、その場で意見交換が行われて、それを受けて事が決まっていくと思っているのでは。だから、これを読んですごくショックを受けるんじゃないでしょうか。
金澤 大学の教授会のような、承認する場は絶対必要です。が、承認するための場所を議論するための場所だと勘違いしたら失敗するよ、ということ。
大事なことは、そもそも聴覚障害学生支援の性質が、少ない学生のためにコンスタントに費用がかかる上、その必要性はごく一部の専門家にしかわからないという、非常に特殊な問題なのだということなんですね。そこに難しさがある。だから、話を通すためには組織の性質というところに注目することが大事かな、と思うのです。
入学式までに、いったい何をすべきか
河野 ありがとうございます。次の第2章はまず、「大学に入学したい」というところからですね。
岩田 第2章は、受験前の相談、受験時の配慮、合格決定後の入学前の相談・面談等について書かれた章です。
最近は、障害のある受験生に対して、受験前の相談を行っている大学がほとんどです。要望すれば必ずそういった機会を設けて、多くの大学は可能な限りの対応をされていると思います。特に最近は、AO入試や推薦入試を通して入学する学生が増えていて、秋口には合格が決まることが多く、入学前までに3ヶ月から半年ぐらいの期間があるわけですね。その時間を使って、できる限り大学と話し合う機会を設けて、準備を進めていただけたらと思います。
聴覚障害のある受験生の皆さんには、支援体制が整っている大学を選ぶのではなくて、自分が学びたいことが学べる大学を、ぜひ目指していってほしいです。情報保障がある無しだけの問題ではなくて、しっかりと大学に入る前に勉強して大学を選び、充実した大学生活を送ってもらえたらなあと思います。
河野 確かに、推薦入試やAO入試が終わった後、入学まで時間はありますよね。その間の動き方は、実際はどうなんでしょう。
金澤 ある程度の支援体制がある大学からすれば、学生から申し出てもらわないとかえって困るんですよ。4月の入学式やオリエンテーションから必要な情報保障をつけようと思ったら、それより前に済ませておくことが結構たくさんあるのです。聴覚障害学生本人に、「自分で何とかするからいいや」と勝手に思われても困るし、まして、一昔前の話のように、「障害のことを言うと不利になるから言わないでおこう」と思っていたらもっと困る。申し出てきた学生だけに対応すればいいかというと、そんなことはないというのが、支援体制がある大学の実情だと思います。
青野 広く学生支援全般で言うと、今いろんな大学が取り組んでいるのが「入学前教育」ですね。「大学全入」と言われるようになってから、1年生の授業についてこられない学生たちがいることを前提にして、積極的に取り組む大学が増えてきている。だから、早めに入学が決まった学生に対しては、大学側からアプローチしているほうがおそらく多いでしょう。何もしないほうが少ないのでは。だから、今後障害学生支援に関しても、入学が決まる以前の対応を、何らかの形でマニュアル化しなきゃいけないのかなという気はします。
岩田 愛知県では、大学で情報保障支援をしている学生がろう学校に出向いて、手話通訳やパソコン要約筆記の説明をしたり、支援を体験する場を設けたりしています。大学に入学する直前に突然こういった支援の問題が出てくるのではなくて、できればもっと小さいときから、情報保障に関する理解が広がっていくといいのかなあと思います。
第2章に詰まった、マニアックなほどに詳細なノウハウ
松崎 私は入試での配慮についての執筆を担当しましたが、他の章と比べてみても、ずいぶんマニアックな内容になったと感じました。他の章を執筆した皆さんは、具体的な方法を提示するのと同時に、「なぜそうすることが必要なのか」という理念にも触れていましたが、私はとにかく具体的な記述にこだわりました。聴覚障害のある受験生から初めて支援の申請を受けた大学の職員にとっては、考え方や理念などよりも、まず何をどうしたらよいかが知りたいのではないかと考えたからです。だから、初めて受け入れる大学であっても、現場で実質的な対応ができるような内容にしたいと思って書いたわけです。
逆に、大学それぞれで個別的な課題があるという話も聞きます。 たとえばある大学で、「面接試験では手話通訳をつけてほしい」という受験生からの申し出があった時、試験監督者の間でどう対応すべきか、もめたそうです。通訳者を介すると、学生の発言が曖昧でも、通訳者がきれいな日本語にまとめて通訳すればそれが見抜けないわけで、受験生本人にどのくらいのコミュニケーション能力や言語力があるのか評価することができない、ということなのです。 また最近は、本人よりも保護者が熱心で、保護者を通して支援の申請や要望が出てくるため、本人が何を必要としているかが見えてこない、というケースもあるようです。
これらは、まだ統一された見解がなく、かつデリケートな問題でもあるため今回は触れませんでしたが、今後、三歩、四歩と進んだものを作る時に掘り下げて検討していくべき課題でしょう。
金澤 編集の立場から第2章をどう見たかというと、とにかく「細かく」でした。今まで世に出ていた資料には、「相談会を開きましょう」とは書いてあっても、「どうやって?」がなかった。要するに、whatはあるけれど、howがない。だから第2章はすごくマニアックでしたが、細かく書いて初めて、読者にとって意味のあるものになったと思っています。
大杉 私も、第2章は細かく書かれたほうがいいと思っていました。ただ、日本の年度は3月に終わって4月から新年度が始まり、その間が非常に短い。それに比べてアメリカは、5月頃に高校の卒業式があって9月に入学しますから、十分な時間が取れるのです。時間のない日本の場合は、効果のある方法で相談をし、準備を進めていかなければいけません。そこをもっと強調すべきだったかと思います。それでも、とても細かく書いていただいた点は、すごく良かったですね。
お金のことは話しにくい?
河野 ありがとうございます。では、次の章に移りましょう。 「第3章 必要な予算とその財源を把握する」というところです。やっぱり、聴覚障害学生支援はお金がかかる面があると思います。ここは、金澤先生ですね。
金澤 金と法がなければ組織は動かない。このことは、考えてみれば当たり前の話ですが、「根回し」という言葉に後ろめたいことをしているイメージがあるのと同じく、お金の話をすると何となく嫌われますよね。お金は実際世の中を動かしているのに、あまり表に出てこないし、聴覚障害学生支援のいろんな資料や本にも出てこない。公的に明示されているお金については書かれているとしても、どうやってお金を工面するのか、いつまでにいくら必要か、そういう情報は意外なほどないんです。それで第3章を立案したというところです。
河野 実に細かい金額が書いてあるのは、非常に大事なことですね。
倉谷 一番言いにくいのは学生自身なのでは。「これを要望するとお金がかかってしまうから言えない」という学生もいました。学生が自分から支援の申し出をしていくためには、「お金はともかく希望は言っていい」とか「お金というのはかかる前提で進めていく」というところを、みんなが了解していかないとおかしいですよね。
金澤 まさにそのとおり。でも一方で、大学の教員は意外とお金に無頓着であると感じています。教員が、お金の話ができるということは、事務方と共通理解のもとに話を進められるということでもあると思っているんですよね。事務のことについて詳しすぎる大学教員は気持ち悪がられますけれども(笑)、でもある程度知っていないと。
「一人の学生をノートテイクで支援するのに必要なのは大体このくらいの額です」と言われれば、事務方はそれで腹積もりができて、それだけで、かなり話がスムーズに進む。学生にはよくわからない話でしょうが、お金の話ができると、大学と対等に話ができる。だから予算書に、ボールペンが何本必要で、ルーズリーフが何枚必要だと金額をはっきり書きなさいと言っています。
青野 日本学生支援機構の「障害学生支援についての教職員研修プログラム開発事業検討委員会」の委員としての調査で、この2年間いろんな大学等へ行って驚いたのは、支援の必要な学生がいる大学には補助が出るということを知らない職員さんがいたことです。どれぐらいの額かも全然知らない。つまりお金が入ってきているにもかかわらず、実際には障害学生のために使われていない可能性があるんですね。どう使えばよいかを議論をする文化にもなっていない。特にこれからは大学でもいわゆる明朗会計が求められることになりますから、このように必要な金額を明示したものは、非常に重要な資料だと思います。
金澤 その先を考えたときに、だれか一人のキーパーソンが徹底的にお金に詳しくなることが必要だと思うのですね。一歩進めるためには、いわば、事務方がやっているようなことをこちらが半分請け負うぐらいのつもりで。その先五歩、十歩進んで体制が確立した暁には、教員は聴覚障害学生への支援方法を考えることが仕事なわけですから、もうお金の心配をしなくてよくなる。それが最終的に目指すところなのかもしれないです。