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2025.05.29

1.軽度・中等度難聴学生を理解するために―まず知っておいて欲しいこと

まず最初に、聴覚障害・補聴器・人工内耳や補聴援助技術についての理解を深めるため、聞こえの専門家であり聴覚障害当事者でもある志磨村さんにお話をうかがいました。
大学での学びの中で、補聴器や人工内耳、補聴援助システムを利用して、聴覚を活用して(耳での聞き取りを中心に)情報を取得をしている軽度・中等度難聴の学生への支援について考えていきたいと思います。

※人工内耳装用の学生:軽度・中程度難聴のある学生と同程度のきこえを示す例が多いとされています。

【講師プロフィール】
志磨村早紀さん
言語聴覚士の資格を有する難聴当事者。幼少期からの進行性難聴のため、軽度難聴から重度難聴(現在の聴力は90dB)まで聞こえの変遷を経てきたことで、聞こえについての様々な困りごとも経験してきている。
高校までは宮崎県で過ごし、東京の大学へ進学後、ノートテイク等の情報保障支援を活用して学んできた。
大学卒業後に言語聴覚士の資格取得のために専門学校に進学。
言語聴覚士の資格取得後、2大学にて障害学生支援室に勤務。現在は武蔵野大学人間科学部人間科学科 専攻科(言語聴覚士養成課程)にて、言語聴覚士の養成に携わりながら、聴覚障害当事者の聞こえの自己認識について研究を進めている。

画像 志磨村さんイラスト

最初に志磨村さんご自身の聞こえについて教えてください。
聞こえにくさを感じ始めたのはいつ頃からでしょうか?

志磨村/保育園の頃に右耳が聞こえないことに気がつきました。でも、音声でコミュニケーションがとれていたので、「まあいいか」と思って特に誰にも言わずに過ごしていました。
小学校2年生の時に、親に聞こえないことを伝えて、初めて病院に行きました。その時の聴力検査では、右耳が90dBでやっぱり聞こえていなかったんです。左耳は聞こえていると思っていましたが、実際には45dBくらいで、軽・中等度の難聴があることが分かりました。そこから難聴が緩やかに進行して、今は左耳が90dB、右耳は115dB↓(スケールアウト)ぐらいです。右耳はずっと活用していなくて、左耳だけで生きてきました。
幼少期の難聴が軽かったので、ある程度スムーズに話すことができています。聴力レベルが重い割には音声でも結構理解できているのですが、周りの人からは「ホントに聞こえないの?」「結構聞こえているから、特に配慮しなくても大丈夫でしょう?」と言われることもあります。スピーチ(発音)がスムーズなので「難聴は軽いんでしょう?」と言われることもあるのですが、これってすごく失礼ですよね。
いわゆる聴覚を活用している学生たちにも、同じようなことがあると思います。難聴が軽いから困りごとは少ないのかというと、そうではありません。1人1人の聴力レベル、聞こえの活用状況、周囲の環境によっても困りごとは変わってくると思います。決して、聴力レベルだけでは判断できないことをまず知って頂きたいです。

徐々に聞こえ方も変化していたのですね。左が90dB、右が115dBという聴力のお話がありましたが、実際にはどのような聞こえ方なのでしょうか?

志磨村/左耳の聴力(90dB)は、補聴器をつけなければ耳元で大きな音を出されて、「音があったかな?」とようやく分かるレベルです。右耳は115dBなので、ガード下のような大きな音が発生する場所でも何も知覚できません。聞こえに困ることのない皆さんが耳を塞いでも、せいぜい40dBくらいの軽い難聴しか体験できないので、それよりもさらに聞こえにくい状況というのは、日常生活の中ではなかなか体験できないかもしれませんね。

【参考】私たちの身の回りの音と、デシベル(dB)の数値
※図はWHO(世界保健機関)の基準および身体障害者福祉法に基づく基準で作成していますが、これに拠らず0dBからでも聞こえにくさを抱える難聴の方もいます。

病院を受診してから、聞こえに関して何かサポートを受けてきましたか?

志磨村/私自身は難聴の発覚が小学校2年生の時だったので、定期的に病院で聴力検査をして経過観察だけで終わっていました。聾学校や難聴学級・ことばの教室などに通う経験もなく、高校卒業まで地域の学校で学んできました。ですので、宮崎にいる高校卒業までの間は、自分と同じ聴覚障害のある人に出会ったことがありませんでした。
全く聞こえないわけではありませんが、やっぱり聞こえにくい瞬間は端々にありました。自分の聞こえにくさが一体どういうものなのか、自分でもよく分からないままで、それを誰かに指摘してもらったり、教えてもらう機会もありませんでした。今振り返ると、どうやってこれから生きていったらいいのかも分からず、自分の聞こえを客観的に把握できず、言語化できないことが一番しんどかったな、と思います。

「自分の聞こえを客観的に把握できず、言語化できないことが一番しんどかった」とのことですが、その難しさはどうして生じるのでしょうか?

志磨村/聴覚障害の難しさの一つは、ただ音が小さく聞こえるわけではない、ということですね。これは一般的にあまり知られていないなと感じています。一般的には「ただ音が小さくなって聞こえる」という伝音難聴の聞こえがイメージされがちですが、実際には感音難聴の人たちのほうが圧倒的に多いです。音声がひずんで聞こえると表現されますが、音声を明瞭に聞き取ることができないのです。補聴器や人工内耳、補聴援助システムを使っても、そのことばのひずみは完全に解消されるわけではありません。
特に補聴器を使うと、話をしている人の音声だけでなく周りの音も大きく聞こえてくるため、騒音下ではことばの聞き取りが難しくなります。例えば、静かな場所では、私の場合は小さな教室や中規模の教室でも、後ろの席の人ともコミュニケーションが取れますが、廊下を移動する際などには周囲の雑音が入り込んでしまい、「えっ?」と聞き返すことがよくあります。
特に苦手な環境は家電量販店です。店内の大音量で店員さんの説明がかき消されてしまい、耳で聞くことを諦めてスマホを使って筆談をしたり、音声認識アプリを使ってやりとりをすることもあります。そのくらい周りの音環境が聞き取りに影響することを日々感じています。

聞こえない・聞こえにくいというのは目に見えない状況です。周りの人が一見では「あ、聞こえないのかな」と気づきにくいものです。しかし、対面でコミュニケーションをとった時には、「聞こえないのかな」「聞こえにくいな」と相手も当事者も自覚できることでしょう。一方で、聞こえにくい人自身がどんな音が聞こえていないのか、それによって何が難しいのかを理解するのは難しいんですよね。私自身もそうでした。世の中にはさまざまな音が溢れていることを考えると、聞こえる人はそれを無意識に処理して、その場でどうふるまうかを判断していると思いますが、聞こえにくいとそれが難しいんです。そのため、小さなコミュニケーションのズレが生じることがありますが、そのことを他人に理解してもらうのはなかなか難しいと感じます。

では志磨村さんは高校生までの間には支援を受けた経験がなかったのですか?

志磨村/そうですね、支援があるとはもちろん知らなかったです。小学校から高校まで、聴力は45~60dBくらいで過ごしてきましたが、「頑張って聞く」ことしか選択肢がなかったので、それが当たり前だと思って生きてきました。今は様々な支援があることを知っていますが、それを知らなかったことは本当に残酷だなと思います。

頑張って聞こうとしても、やっぱり聞こえない瞬間はたくさんあります。例えば、友達との会話でも聞き漏らしていたことがたくさんあると思います。
英語の授業ではリスニングがとても難しかったですし、世界史の授業では国の名前など漢字で表記される用語ががたくさん出てきますが、教科書には読みが載っていないので読み方が分からない言葉がたくさんありました。先生の言葉を一生懸命聞いていても、「西魏」という国の名前を「セイギ」と言ったのか、「サイギ」と言ったのか分からないし、この言葉は何と読むんだろうな、分からないけど…とやり過ごしていることもありました。
今ならばインターネットで調べて解決できますが、当時はその手段もありませんでしたので、分からないままやり過ごすことがたくさんありました。
自分でもどうしたらいいのか分からないままで、高校の授業を受けていました。

支援を知ったきっかけや、文字での支援を利用しはじめた経験について教えていただけますか?

志磨村/高校までは自分で頑張ることが当たり前で、大学受験も同じように頑張ろうと思っていました。支援について知ったきっかけは大学入試センター試験(現:大学入学共通テスト)でした。出願要項を見て「障害のある学生への配慮」が申請できることを知り、何をしてもらえるのかは分からなかったけど、とりあえず申し込んでみました。その結果、試験監督の話す言葉が文書で届けられたり、英語のリスニングは別室でイヤホンを使わずに、ラジカセを好きな位置に置いて好きな音量で聞いていいという配慮を受けました。その後、希望する大学の二次試験でも同様の配慮を受けられました。こうした配慮があったことで初めて安心して試験に臨むことができたんです。

高校までの定期試験では、先生が突然教室に入ってきて口頭で指示を伝えるだけでした。板書をしてくれればいいのですが、聞き取れなかったら問題が解けないですからね。そのため、「途中で何か言われるかもしれない」という不安が常にあり、落ち着かない時間が続きました。配慮を受けて試験に臨むことで「自分が分かる方法で情報が伝えられる」という安心感が得られたのです。

進学した大学は障害学生への支援体制が整えられており、私が入学した時には障害学生支援室がありました。入学手続きの案内の中に「支援リーフレット」があったので、それを見て支援室に連絡をしたら、「入学前に一度来て下さい」と言ってもらいました。
相談に行った時に初めてノートテイクの支援を目にしました。話している言葉がどんどん文字になって、「ああ、スゴイな」と思いましたが、これが「自分にとって役に立つのかどうか」はピンと来ませんでした。でも、「タダだし、いいか」と思って、全ての授業にノートテイクを付けて欲しいと依頼し、大学生活が始まりました。

でも最初から全部受け入れてうまく使っていたかというと、そうではありませんでした。
最初は「自分が頑張って聞けばいいんじゃないかなぁ」という気持ちもありました。メインキャンパスから離れていたので、支援者が少なかったこともあり、他のキャンパスから支援者さんに来てもらったり、違う大学の学生さんが来てくれたりしていました。
また、1限の授業に遠くから来てくれるのは申し訳ないな、と思うこともあり、「頑張って聞いたら良いのでは…」という葛藤を感じることもありました。

でもやっぱりノートテイクされた紙や、パソコン通訳の画面を見ると、自分の知らない情報がいっぱいあることが分かるんです。支援者のセンスも良かったからだと思うのですが、「今、後ろの学生がこんなこと話していたよ」とかも書いてくれていたんです。盗み聞きをしているのではなく、難聴の私たちには難しい「小耳に挟む」を文字で伝えてくれていました。
「授業途中で入室してきた学生がいて、先生がぼそぼそ小言を言っているよ」とか、「急に天気が崩れて雷が近くに落ちたから、学生がザワザワしている」などの授業中の様子や、先生がボソッともらした小さなこともちゃんと書いてくれる。書く時間があるので周りとはワンテンポ遅れて笑ってしまうのですが、それでも「今、この教室で授業を受けている」と感じることができて、とても楽しかったです。

文字での支援があったことで、先生が怒っている理由も初めて分かることができたんです。
あるときにノートテイクに入ってくれている支援者に対して、先生が怒ってしまった場面がありました。そこでのやり取りも、怒られている最中なのにノートテイクをして伝えてくれていて。
伝えてもらえなかったら分からないままだったし、やり取りが分かるから私はヒヤヒヤして「どうしようどうしよう…」と思ってその場にいられたし。
そういう気持ちも、今ここにある情報をちゃんと伝えてもらえるからこそ、分かることができる。
そうした経験も経て、文字での支援を使って得られるのは「臨場感」なんだな、と大学時代に気づきました。そんなプロセスを経て、支援が自分にとっては必要なものだ、と納得するまでに2~3年はかかりましたけどね。

補聴援助システムは、大学時代から使っていたんでしょうか?

志磨村/補聴援助システム、今でこそ使いこなしていますが、それに至るまでにはだいぶ時間がかかりました。大学時代に「ロジャーっていう補聴援助機器があるんだよ、使ってみる?」と紹介されました。でもその時は「感音難聴の私」ぐらいにしか自分の聞こえのことを捉えられていなかったので、「いや、私には使えないんじゃないですかね」と試しもせずに断ってしまったんです。

でも卒業後に進んだ言語聴覚士の学校では文字の支援者は付けられませんでしたので、FM補聴援助システムで頑張ろうということになりました。
ちゃんと使ってみたら「意外と使えるな」と気がついたんです。
その時はマイクと補聴器との接続が1対1のペアリングしかできなくて、先生がマイクを持っていると他の学生の発言が分かりませんでした。
でもクラスメートの助けがあって、マイクを発言する人に渡してもらえるようになったり、マイクを持っていない人の発言を文字で書いてもらえるようになってから、「分かる」経験が増えました。
よく「ロジャーがあれば大丈夫」とか、「支援機器があれば十分でしょう」などと言われますが、それらをうまく使うには環境を整えることと、まわりの理解や協力も得ないとだめです。逆にそうした環境が整っていれば、支援機器が十分活用できて選択肢の1つになります。
マイク1台だけだったら「学生の発言は頑張って補聴器で聞かなきゃ」と思っていたけれど、まわりが配慮してくれるだけで、「今はマイクがなくても大丈夫だ」とか、「こう使ってもらいたい」という選択肢が増えてきます。

たった1つの選択肢が支援機器しかない、それ以外選べない、ではなく、いろんな選択肢の中に補聴援助機器があるという、選べる環境になるといいなと個人的には思います。
今は仕事で毎日ロジャーを使うくらい補聴援助システムがあって非常に助かっています。私も最初から「この方法を使おう!」と積極的だったわけではなく、自分が「これは使える方法だ」と納得ができて、ようやく使っているんです。

障害学生支援室での業務を通して学生さんと接する中で感じていたことや、学生さんに関わっている方々に伝えたいことはありますか?

志磨村/そうですね、まず気づいたのは、入学試験で配慮申請を出す学生は多いものの、障害の状況や入学後に必要な支援について具体的に書けないことです。私自身もそうでしたが、障害の状況として「感音難聴」とだけ書いてしまいます。聴力を書けたらいいほうだと感じていました。それくらい、自分の聞こえの状況が分からないし、どう説明すればいいかも分からないんですよね。
必要な支援についても、ノートテイクやパソコン通訳、音声認識といった単語レベルでしか記入できません。実際には授業の状況や形態によって必要な支援は変わってきます。しかし、そのことを知らないまま、知識として知っている支援方法(ノートテイク、パソコン通訳、音声認識字幕、手話通訳)を挙げてしまうのです。自分にマッチする支援が何かを考える経験がないまま入学してくるのです。
自分の聞こえの状況やそれを相手に伝える方法、自分にとって必要な支援とは何かを考えることが重要だと、支援をする立場になって感じました。

学生も色々な考えを持っています。特に高校まで聞こえる学生と学んできていることが圧倒的に多いので、大学に入って初めて支援を使う学生もいます。18歳にもなって支援者が横に座っていると周りからは目立ってしまうため、それがイヤだという学生もいます。
実際はもっと後ろの席に座りたいのに、ノートテイカーのために仕方なく一番前に座ることもあります。支援を使うことで目立つのがイヤだったり、寝坊して迷惑をかけるかもしれない、気軽に支援をキャンセルできないなど、さまざまなことを負担に感じてしまうんです。
聴覚障害の程度が重度であれば支援がないと授業が全く分からない場合もありますが、軽度~80dBぐらいまでの聴力であれば、自分で頑張ればいいと選択することもできちゃうんです。
そのため、自分にとって必要な支援を納得して使うことが重要です。

しかし、その手前にまず意思表明のための支援、「自分にはどんなサポートが必要か」を考え、しっかり伝えるための支援が必要だと考えています。
支援を「いらないんじゃないかな…」とか、「使いたくないです」という学生もいますが、その気持ちも一度は受け止めてあげるべきです。支援担当教職員や周囲の人からは「支援があったほうがいい」とか、「これを使ったら絶対分かるから」など、いろいろな理由をつけて勧められることもあります。それをすべて受け入れて使うかというと、「今は使いたくない」というのも1つの選択であっていいんです。

でも、もし無理なく使える方法があったら、それを緩やかに提案してあげてもいいと思います。
いつか困った時に相談に来てもらえるように、緩く長くつながっておく。いざ困ったときに相談ができるように、関係を維持することが大切です。
私も「いつかどこかで」の助けになれたらなと思って、半年に1回は面談をして「最近どう?」などと様子を聞きながら関係を維持していました。
キーポイントは『本人が納得して使うかどうか』です。周りが勧めたからだけでは、本人は支援を使いこなすようになりません。
大学時代に、自分にとってノートテイクはこういう意味があるからこう使いたい、パソコン通訳はこう、じゃあ補聴援助システムを使う時はどうかなど、「こういう状況だったらこういう支援がいい」と考えさせる経験をしてもらいたいです。

ノートテイクしか知らない場合、体育の授業で同じ方法が使えるとは限りませんよね。紙を何枚も持ってノートテイカーさんに書いてもらうのは大変です。例えば、バレーボールの授業ではブギーボード(注:書いた文字がすぐに消せる電子メモ)を使ってノートテイカーさんも一緒に動き回りながら伝えるなど、工夫が必要です。そういうことを学生自身が考えて、自分も支援者も周りの人たちも「無理なくできる方法」を考えさせなきゃいけないと思います。

一方で、大学が学生の希望を全部叶えるのは難しいこともあります。過度な負担にならないように配慮しながら、信頼関係の中で建設的な話し合いを重ねることが大事だと考えています。
納得するには時間がかかるし、プロセスは人それぞれです。
支援に携わる皆さんには、学生に寄り添い、一緒に考えてくれる存在であってほしいです。

支援体制を整えるのは本当にベースライン、基本的なことです。ノートテイクやパソコン通訳、音声認識、手話通訳、補聴援助システムなどの方法があっても、それだけでは解決しません。
支援を効果的に使うためには、環境調整が欠かせません
1つは、授業を担当する先生方の理解や協力が必要です。周囲の学生の協力も得られないと、いくら頑張っても、うまく情報を伝えられない瞬間はたくさんあります。
2つめは、何らかの支援があればそれで良い、ということでは決してありません。そういう環境が整えられた中で、聴覚障害のある学生が主体的に「こういう時はこうしたい」と考えられるように支えていくことが、大学の役目だと思います。